CCI FUTURE IMPACT Forum for SDGs

各専門家からみた現在の状況とこれからの持続可能な社会について、
CCI FUTURE IMPACT Forum座長の大澤真幸氏と
あらゆる分野の専門家からなるメンバーの対談をお届けしてまいります。

今回は、Part1Part2Part3Part4に引き続き、
憲法学者の木村 草太氏と大澤 真幸氏のスペシャル対談のPart5をお届けします。



【第9回】憲法学者からみるコロナ禍における法治主義と社会の関係からみた現状と持続可能な社会とは
憲法学者 木村 草太氏 × 大澤 真幸氏

Part5(全5回)
問題解決に向け、「認知のゆがみ」を埋める対話を


-木村氏:
一つ、最近の問題に関連してお話ししたいと思っていたことがあるのですが、お話ししてもよろしいでしょうか?

憲法とよい関係性で「つきあっていく」にあたり、「認知のゆがみ」というものが今後重要になってくるのではないかと思っています。先日、札幌地裁で、同性婚ができないのは憲法違反だという判決が出ました。私も少し関わり、意見書を出していますので注目していたのですが、あの判決は法律家の中で大きなパラダイムシフト、革命のようなものを起こしました。同性愛者の婚姻については、それまで1回も勝ったことがなかった、そもそも訴訟が起きなかったため負けたこともなかったわけですが、地裁とはいえ、勝ちが出るという問題なのだということにみんなが気づいた瞬間に色々な動きが出ました。

同性愛者と異性愛者との違いですが、自然生殖関係が成り立つかどうかという点においては、自然生殖は大きな事柄であり、効果では違いは生じうるかもしれない。だからといって同性婚の場合、子供との関係がどうでもよいということではない。レズビアンのカップルの一方が出産した場合、父親をどうするのか、精子提供者にどのような権利を認めるのか考えなければならない。もちろん婚姻しているので二人で育てる前提でと。このように特殊な考慮は必要だが、原則として区別すべきでないという判決が出ました。

この判決を受け、その後に出てきた言説がどういうものかといいますと、「婚姻とは呼ばないが同様な制度を作り、それを利用してはどうか」という主旨の提案をする人々がかなり出てきました。このような提案は外国を見てもよくある話です。同性愛者からの権利主張が高まり、婚姻を認めようということになったが、同性婚を婚姻と認めることに非常に強く反対する人々がいて、強い押し返しの結果、その妥協策としてパートナーシップ制度やPACSと呼ばれるような、ほぼ婚姻だが婚姻とは呼ばないという制度を作るのはどうかという話が出る。しかし、これは二級婚に当たるのではないかという議論になり、やはり婚姻という形にしようという動きになることが多いのです。

この問題は、実はアメリカの黒人差別の歴史にも近い問題です。黒人奴隷の解放をしました。「平等です」という条文も憲法にできました。しかしその後に起きたのは、「セパレートバットイコール」という「分離すれど平等」というもので、黒人と白人の学校は同じ水準であれば分離してもよい、あるいは分けるべきだ。それはイコールだからという仕組みになったわけです。しかし、そもそもセパレートするというところに差別意識があるのではないのか、なぜ敢えてそのようなことをする必要があるのかというところに来たわけです。

婚姻の二級婚を作るという発想は、まさに「セパレートバットイコール」に非常に近い発想です。主張している人はすごくよいことをやっていると思っているわけです。 なぜ「セパレートバットイコール」型の解決を提案する際に働いている意識に、人は気づけないのだろうかという課題をここ最近ずっと考えています。この課題は、差別の教科書をそのままなぞるような展開で悲しくも感じています。今の話から何かお感じになることや、お考えがあればお聞かせいただきたいのですが、いかがでしょうか。


-大澤氏:
それこそ私の方こそお伺いしたいことが多いのですが、これはとても難しい問題ですね。平等だけれども分けます。それは新しい差別につながる。差別というものが法以前のところにあるのでしょうね。法の水準で差別をなくしたとしても、法以前にある差別が新しい法に適用してしまうのだと思います。もちろん法の改革も大変重要なのですが、法を変えるだけではなかなか問題は解決しません。


-木村氏:
そうなのです。イコールにしろといわれた場合、セパレートの必要性はありません。自然に行えばイコールでセパレートでもないという解決であるのにならなかったのがアメリカの南部であり、PACSやパートナーシップ制度を取った同性婚であったわけです。
確かに法以前といいますか、差別というものをどれだけ意識しているかわからないというわけですよね。


-大澤氏:
そういった場合、しばしば本人も差別しているという意識はなかったりします。何が差別であるかもよくわからないということがあり、先程おっしゃった通り、むしろ平等にしているつもりが差別しているということになってしまいます。
様々な差別が存在していますが、性に関わる差別は最も根深い感じがします。人種差別等ももちろんそうですが、明らかに文化的なバイアスがかかっています。しかし、性の差別というのはどの文化でも生じる問題です。基本的に男性と女性がいて、性に関してはどの文化においてもインディファレントになっている文明はないわけです。


-木村氏:
はい。おっしゃる通りですね。


-大澤氏:
例えば人種や民族の差別に関しては、帝国軍はそれほど気にしなかったという例もあるわけですが、男女がいるということに関係なく生きていますという文化はありません。男性と女性がいて、それに対してどのような組み合わせが自然に感じられるかというのはどの文化にも必ず存在するため、一番根深く難しい差別につながる課題だと思います。

同性婚の問題は世界的に見ればどんどん認められてきていますから、その方向性で進んでいくものと思います。しかし、さらにベースにあるジェンダーに対する感覚、それと婚姻は深く紐づいていますので、簡単には解決しません。むしろ一般的に差別問題は、ベースにある態度が変わらなければ、新たな法に対応する新たな差別の様式が生まれる感じがします。


-木村氏:
まさにそうなのです。「いたちごっこ」としか言いようがない判例の歴史が展開されるのです。人種差別の件にしても、最初は奴隷にしていた。イコールな権利にしたが、選挙権は半分だった。ようやくそこをイコールにしたが、今度はセパレートが始まり、セパレートがだめとなったら、あの手この手で対応し、セパレートできないのであれば、対応できない公共施設を締めるという手を打ったところもあります。また、本当にわからないように、しかし差別的な結果がでるようなテストが作られたりしている。そのようになっていくのは心の問題なのではないでしょうか。本当に心のちょっとしたところの問題です。最終的な差別の正体を剥いていくと、ほんのちょっとしたことが積み重なることによって莫大なダメージが生じるというもののように見えます。

SDGsに関心が持てないというのもそれと似たようなところを感じます。関心が持てないのは、本当にちょっとしたこと。何か嫌だという程度の気持ち。自分でも避けていたことに気づかない程度の軽い気持ち。しかし、その軽い気持ちを皆が持っているので、巨大な無関心になるということのような気がします。

先程の同性婚の議論で、パートナーシップ制度でいいではないかという説明ですが、二級婚というと皆さんわかってくださるかもしれない。発言した人は、自分が二級婚という意味で発言していたことに気が付かない。しかし、異性婚と同じものにすべきではないと言っていますので、違うものにするという意図はあるのです。どう考えても二級婚という主旨で発言しているのに、なぜか差別をしていると認識することはできないという、非常に不思議な、しかもすごく軽い気持ち。軽いが故にとても残酷な気持ちを感じます。


-大澤氏:
しかし若干の希望を感じる部分もありますね。自覚なしに二級婚で妥協してしまっている人の多くは、本来は、真の平等を求めていたはずだからです。だとすれば、彼らに「あなたの言っていることは客観的に二級婚を認めることになってしまう」と言ってあげるわけです。あなたの言っていることに問題があるということに気づいてもらいさえすれば、相手の論理――平等こそが望ましいという相手の論理――をそのまま徹底していけば、「二級婚」のような中途半端な妥協を克服することができると思います。彼らもある種の平等が必要だということまでは思っている。彼らの主張による対応をした場合、どういうことをやっても大抵は失敗するわけです。しかしそれが失敗だと認識してもらうことも、相手の中にある平等指向を元にして議論できるといいますか、そこは多少希望があると思うのです。まったく違う価値観を持ち、それでいいのだと開き直られたらおしまいになってしまいますが、その人自身が持っている論理によってデコンストラクトできるというところに、先への展望や希望が持てるような気がします。


-木村氏:
そうなると環境問題等も同様かもしれませんね。相手になぜそのような態度を取るのかを聞いてみるということですよね。


-大澤氏:
そうですね。相手が全くコミットできない価値観を主張しなければならないわけではなく、皆がコミットできる価値観によって、その人の問題を指摘できるというのが一つの強みだと思うのです。誰もが環境破壊が起き、人類や生態系を破滅に追い込んでもよいと思っているわけではないのですから。そこは一つの希望かもしれません。

最後に、CCIフォーラムですが、今後についてご意見はございますか。


-木村氏:
私は学術会議の若手アカデミーに入っていまして、先日クワガタの専門家の方にお会いしたのですがすごく面白いなと。その他、若い専門の方々とも多くお知り合いになりました。そういった若い専門の方々にも参加していただき、ディスカッションする場を作るというのは、ぜひやってみるとよいと思います。


-大澤氏:
ぜひ、実現いたしましょう。本日は、どうもありがとうございました。





【対談者 プロフィール】


大澤 真幸氏
社会学者
CCI FUTURE IMPACT Forum座長

千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。
1990年代より、理論社会学の立場から現代社会の変容を総合的に分析し、論じてきた。著書に『ナショナリズムの由来』(講談社、毎日出版文化賞)、『不可能性の時代』(岩波新書)、『量子の社会哲学』(講談社)、『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎との共著、中央公論新書大賞)、『自由という牢獄』(岩波書店、河合隼雄学芸賞)、『日本史のなぞ』(朝日新書)など著書多数。個人思想誌『大澤真幸THINKING「O」』(左右社)主宰。現在、『群像』(講談社)誌上では、世界史の論理構造を解明する評論「〈世界史〉の哲学」を、『本』(講談社)誌上では、動物社会との比較の中で「人間」の本質を考察する「社会性の起原」を、それぞれ連載中。


木村 草太氏
東京都立大学 法学部教授
CCI FUTURE IMPACT Forumメンバー

東京大学法学部卒。同助手を経て、現職。 中学時代から法律に興味を持ち、高校3年生で司法試験の1次試験に合格。助手論文を基に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)を上梓。法科大学院での講義をまとめた『憲法の急所』(羽鳥書店)は東大生協で最も売れている本として、全法科大学院生必読の書と話題となる。
著書に『テレビが伝えない憲法の話』(PHP新書)、『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)、『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』(晶文社)など。