CCI FUTURE IMPACT Forum for SDGs

各専門家からみた現在の状況とこれからの持続可能な社会について、
CCI FUTURE IMPACT Forum座長の大澤真幸氏と
あらゆる分野の専門家からなるメンバーの対談をお届けしてまいります。

今回は、Part1Part2Part3に引き続き、
憲法学者の木村 草太氏と大澤 真幸氏のスペシャル対談のPart4をお届けします。



【第9回】憲法学者からみるコロナ禍における法治主義と社会の関係からみた現状と持続可能な社会とは
憲法学者 木村 草太氏 × 大澤 真幸氏

Part4(全5回)
我々は共同体として、どのような価値観、どのような物語を生きるのか


-木村氏:
何かを大事にしていないということは、何かを大事にしているはずということなのだと思うのですが、日本人がSDGsや近代立憲主義的な普遍的な人権よりも大事にしているものがあるとすれば何だと思われますか。


-大澤氏:
率直に言えば「空気」だと思います。日本人は「空気」を大事にしています。しかし、「空気」ではSDGsには対応できないのです。


-木村氏:
ちょっとCO2を出すのをやめようかという「空気」にはならないですかね。


-大澤氏:
なかなかならないですね。SDGsは、20世紀に知らなかった価値観が出てきているわけではない。むしろ非常に正統的な、近代的な価値が一般化されているだけです。それが深刻に言われる理由は、将来しかもそれほど遠くない将来、21世紀中盤~後半くらいに、かなり決定的な破局に近いことが様々な分野で起き、もう持たないだろうという感覚があるからなのです。これらは非常に切迫した問題です。にも拘らず、自分事化が難しい。例えば今、消費税を2%高くするとすれば明日からすぐに問題になります。
しかし、CO2で大気の温度が1.5度上がるという問題は、2050年とか2080年とか先の話です。そうすると、今の自分のことではなかったり、自分が死んだ後の話だったりするわけです。つまり、これはマルクスの言葉ですが、ノアの箱舟の大洪水が来る前に死んでしまえば問題ないという感じになる。

「空気」というのは、今一緒にいる人たちの間で作られるものです。なので、今一緒にいる人たち以外の人に向かっては、「空気」は発動しないようになっています。一緒に仲良くやる場合には比較的うまく機能する場合もありますが、一緒にいない人たちと問題を解決する場合はうまくいかないのです。気が付かないうちに世界標準としてSDGsが浸透し、気象問題に配慮がない企業は問題外だという状態になっているのですが、日本はグローバルな空気からは完全に外れてしまった。これほど乗り遅れている状態になったのは悲しいですね。日本の企業が環境関係に投資する金額というのは非常に低いと思います。例えばドイツのBMWは自ら風力発電し、CO2を排出しないようにする。欧州ではこの考えは当たり前のことで、ある種一大ビジネスになっています。この遅れの原因は、根本的なエートスの違い、無意識的なエートスの違いの問題のような気がするのですが、いかがでしょうか。


-木村氏:
何か根本的な価値観の転換は意外と簡単に起きると思っています。大澤先生は革命という概念でおっしゃっていることだと思うのですが、何か決定打になることが起きた瞬間、人間の意識というのは、革命が起きた瞬間にそれまでの世界の意味が全く変わってしまうということがあるわけです。それが起きない。では、何故革命が起きるかということなのだと思うのですが、革命は、可能性としては存在しており、すごく小さくてもその可能性はあるのだと見出されたときに起きるものだと思います。

だとすると、環境という問題であれば、環境に投資した企業が大成功したという何か一例が存在して、みんなの世界観を変えてしまうというような体験が、非常に少ないのかもしれません。


-大澤氏:
そうですね。では、例えば若い人のレベルで見たとき、日本にグレタさんのような人が出てくるかと考えると、日本からは出てこないですよね。グレタさんは傑出しているからこそ世界中で知られているわけですが、グレタさんが出てくる土壌が欧州にはあるわけです。しかし、日本の高校生の中にはグレタさんに共感する人はいるかもしれませんが、グレタさんレベルの人が出てくるとは思えません。


-木村氏:
グレタさんのような行動をとったときに、それを受け入れてくれない気がしますね。


-大澤氏:
世界中でグレタさんは素晴らしいといって称賛されているからこそ、その議論に追いつくわけですが、日本でいきなり出てきたらどうなるか。


-木村氏:
ちょっと変わった人だという扱いをされてしまう可能性があるかもしれないですよね。


-大澤氏:
以前も別の対談でお話しをしたことがあるのですが、18歳の青少年に対する国際比較の意識調査で、「あなたにとって最も重要な社会問題は何か」という質問がありました。複数選択可能なので、皆色々な問題を選ぶのですが、主な先進国および中国では断トツで環境問題がトップにきます。主だった国の中で環境問題がトップにこないのは日本だけなのです。他に興味があるからということなのかもしれません。しかし、他国で環境問題がトップになるのには理由があると思います。それはなぜかというと、環境問題は人類レベルの問題だと思っているからです。生態系全体の問題であり、地球全体レベルの問題である。他の問題はある特定の人にとって、もしくは国内の問題であったりする。当然、他の問題も煎じ詰めれば人類全体の問題ですが、ストレートな形での人類的な問題ではないので、環境問題がどうしてもトップになる。しかし、日本の高校生はそのようには感じないということを意味しています。自分が貧困になるかもしれない年金問題の方が、環境問題よりも大事だということになるわけです。これは高校生だけの問題ではなく、日本全体の問題だと思います。どうしてこれほど世界の常識と乖離が出るのか、というところが気になるところです。日本の中にいると気付かないが、世界のレベルで見るとずれてしまっている。


-木村氏:
最近になって環境への関心について、一段と低くなっている気がします。20世紀の終わりの方が、むしろ環境について強く意識した議論がなされていた気がします。専門分野を見ましても、当時、環境権を憲法に読み込むかどうか、書き加えるかどうかについての議論が活発だったのですが、最近はその議論も下火になった印象があります。


-大澤氏:
それはどうしてなのでしょうか。


-木村氏:
恐らく、環境という概念で解決しなければならないと思われる問題、裁判所に持ち込まれる問題が確実に減少したからでしょうか。あるいは、法整備が進み、憲法論としてやらなくても守れているのだと思われるようになったか。環境問題を改善し、達成したという感覚が憲法論に反映しているような気がしております。関心の低下は、関心が低下したというよりは、環境問題は解決できた、達成できたという誤った感覚が生じているせいかもしれませんね。


-大澤氏:
例えば、訴訟のレベルで環境問題は減っているということなのでしょうか。


-木村氏:
それは調査してみなければわかりませんが、日本における環境型訴訟というのは高度経済成長期の大気汚染、水質汚染などの公害関連の問題が大きく、それに対しての一定の法整備や対応が出来てきたというストーリーで、今はだいぶ法体系が整ったという記述になる場合が多い気がします。


-大澤氏:
なるほど。そう考えると不思議な感じがします。世界的にはむしろ深刻になっているわけです。

もう一つ思うのは、ある種の実感レベルで環境問題が深刻になっているかもしれないと思うことが増えているのではないかということです。地球温暖化については、科学的にも常に両論があるわけです。しかし、だんだん地球の温暖化が進んでいるのは明らかで、しかもその原因は人間の活動によって発生する二酸化炭素ガスによるものだということが、かなり否定しがたい通説に近づいている。近づいていると思う理由として、私たちは実感レベルで察しているところがあると思います。
例えば、異常気象です。あまりにも夏が暑い。あまりにも乾燥して山火事が起きるなど。科学的には正常の範囲のフラクチュエ―ションであるという科学者もいますが、そういう説に説得力がなくなるほど、実感レベルでひどいことになってきている。
日本もそうです。これまでに考えられないような超大型台風がやってきて観測史上初だということになる。観測史上最高だというので70~80年に一度の事かと思っていると、翌日にはその記録が破られたりする。非常に短期間でそのようなことが頻繁に起こる。観測史上最高なので極まれな事かと思えば、それをよく聞くようになってしまっているわけです。

また、コロナのパンデミックも広い意味での人新世といいますか、人間の活動があまりにもドミナントな現象になりすぎていることによるものだと言えます。昔であれば野生動物との間にかなり長いバッファーがあったものがどんどん失われています。ウィルス関連でいっても、SARSやMERS、新型コロナと、この20年間で3回も発生している。7年に1度の間隔で来ているわけです。今までならば100年に1度しか起きないようなことが、頻繁に起きることを目の当たりにし、それが切迫した感情を生み、環境問題に対しリアリティが増して世界中のムーブメントになってきている。しかし、日本はわりとそのことに鈍感なままでいます。

これはたとえ話ですが、新約聖書の中でイエス・キリストが色々な奇跡を起こすことが書かれています。キリストはなぜ奇跡を起こすのか。それは神の国が近づいたということを人々に伝えるためなのです。それを実感させるために到底あり得ない奇跡を起こす。
その奇跡をみて、神の国が近づいていると思った人はクリスチャンになった。
しかし奇跡を見たからといって、それを何とも思わない人もいる。そういうこともあるだろうと思う人もいるわけです。今、それに近いことが起きている。これはただならぬことの前兆かもしれないと思う人もいるが、そう思わない人もいる。だから悔い改めて行動しなければならないと思う人もいれば、それは正常の範囲内だと思う人もいるということです。
日本人は数少ない何とも思わないグループに入りつつあるような気がします。
異常気象を見て何か思う人も思わない人もいる。知っているか、知らないかで決まるわけではないのです。知る以前の、世界に対するコミットメントの仕方によって、ただならぬものとして受けとめることができるのか、それともそうとは気が付かず終わってしまうのかという違いではないかと思うのです。なぜ日本人はここまで鈍感でいられるのかというのが不思議なところなのです。


-木村氏:
これは、政治的有効性の感覚が非常に低いということのような気がします。アメリカ人や中国人は、自分たちは多く二酸化炭素を出しているが、自分たちが頑張れば二酸化炭素を出すことをやめられると思っている。そういう意味では、自分たちのコントロール下にあると思えるかもしれません。しかし、日本人は、二酸化炭素をたくさん出しているけれども、自分たちだけ頑張っても結局他の国が一緒にやってもらえなければ変わらない。であれば、我々がやることの意味があるのだろうかという思いがあるのではないでしょうか。このような政治的有効性、国内的にもありますが、国際的にはもっとひどい有効性の無効感があり、とても寂しいことに繋がっているような気がします。

なので、目の前で奇跡が起こる。でも自分には関係ない。奇跡が起こせる。でも自分には関係ない。来るかどうかは別の人の意思、世界に委ねられているのだものという感覚を日本人は持っているのではないでしょうか。


-大澤氏:
日本は常にフォロワーになることを考えている感じがします。状況を見て、一番無難な選択をしていくということに慣れている。率直に言えば、日本は、将棋で言えば、すでに詰んでいるような状態だと思います。普通に指していれば、何手か先に詰まされるような状況です。今までの定石通りに指していけば、詰んでいる状況にまっしぐらに向かうだけなのです。日本人がわかっていないのは、もしかしたら詰んでいるのだという感覚だと思う。相当無理な定石から離れた方法で手を打たなければならない。どのくらい離れた方法で手を打つのかというところは意見が分かれているのですが。


-木村氏:
だから新しいことをやって変革しよう、あるいは狭い所で細かいチェンジだけをしようとするということですかね。


-大澤氏:
先日の棋士の藤井聡太さんの打った「4一銀」のような手。普通にいけば飛車を取ればいい。それで行けそうな気がするが、しかし、普通に飛車を取っていたらアウトなのです。一見悪手であると思われる手、そこにこそ打開策がある。普通に打っていたら詰まされるということを早い段階でどれだけ痛烈に自覚できるかということのような気がします。


-木村氏:
それは、社会においてどんな自覚が足りていないのでしょうか。


-大澤氏:
木村さんに関連する憲法に例えていいますと、いつ詰まされているのかということかと思います。今の状況は人類の歴史から言えば、相当切迫しています。しかし、もし仮に詰むのが22世紀の初めくらいだとすると、人間の人生からいえば、今生きている人たちはだいたい死んでいることになる。とすると、そこまで考えなくてもいいわけです。そこまでの想像力を必要としない。

これがなぜ憲法と関係するのかというと、憲法というのは国の形です。その時々の対応や措置ではなく、我々はこういう物語、こういうストーリーを生きるのだということの表明だと思うのです。構成員のメンバーの人生より長い。国民共同体として、こういう物語を生きるのだということであり、憲法を支える想像力というのは人の人生よりも長いスパンでものを考えなければ出てこない。ところが日本人にはそのような感覚がない。そのためSDGsに対してもう一つコミットしないことと、憲法は非常に重要なのに、もう一つそれに対する扱いが甘いというところは、どこか繋がる感じがします。

しかしそうは言いつつ、日本人は憲法が好きなのではないかと思うことがあります。憲法を専門とされている方からすると、この程度のことでは関心を持っているうちに入らないということかと思いますが、日本人の憲法に対する、ある種のアタッチメントを感じます。憲法に対し、ある種の思い入れがあるということなのだと思うのです。
変えるべきかどうかというのは、個別条文ごとに考えていくべきことですので、ここで一般論として何か言えるということではないのですが、メンタリティとして、憲法をどこか崇高なもの、良きものと感じているのは確かだと思うのです。


-木村氏:
そうですね。我々は自由や民主主義や人権と呼ばれるものの根拠はどこに持っているのかということですよね。
アメリカ等ですと、自由や民主主義や人権を象徴するものがもっとあるかもしれません。以前、アメリカのハーバード大学に文献収集に行った際、大きな銅像があって、見ますと奴隷解放に尽力した下院議員のものでした。このように人権の象徴が町の中にあるのですよね。
フランスに行けば、バスティーユ広場には自由を象徴する革命記念柱が立っていたりする。

では、日本はどうだろうか。自由や民主主義や人権を象徴するものはどこにありますか?といわれるとちょっと思い浮かばない。国会議事堂につれていってこれが国会ですと見せることはできますが、日本の国会はまさに人権の象徴ですとはいいがたいわけです。よって、憲法に書かれている自由や権利というところに、私たちの普遍的な人権や民主主義の象徴をかなり重たく載せなければならないのではないか、とお話を伺っていて思いました。だから結局ここから離れられない、最終的にはここを拠り所にせざるを得ないということがあるのかもしれないですね。


-大澤氏:
憲法に関して、もう少し成熟した関係性を作れないのかと思っています。憲法を70年以上変えなかったのは、良きものであるという感覚がベースにあることは確かです。だからこそ変えられなくなっているとも思います。

では、憲法をすごく大事にして、憲法に表れている理念を実現するためにあらゆる努力をしてきたかというとそうでもない。憲法に対するポジティブな感情を成熟させていくと、憲法との関係も成熟してくると思うのです。憲法の大事にする部分は大事にする。今の時代に合わないと思うのならば、その部分は変えて、変えた上で大事にすると。そうすれば憲法との正しい関係というものを構築できるわけです。憲法は日本人にとって自尊心を持つことのできる一つの根拠です。


-木村氏:
自由や、民主主義や、平和主義などですよね。


-大澤氏:
それがなかったらほかに何を自慢するのかということです。


-木村氏:
まさにそうです。だからこそ、中国の方々が表現の自由や同性婚の問題について勉強しに来てくれる。また、他の法体系もそうですよね。刑法や民法など、日本の法律を勉強したいと言ってくれる人はまだ沢山いるわけです。


-大澤氏:
なので、憲法との関係性が、ある形で成熟してくることと、SDGsの事柄としては直接的には同じではないのですが、繋がってくると思うのです。 先程申し上げた通り、憲法は共同体の生き方の問題です。個人の利害を超えた問題として、どういう価値観を生きるのか、どういう物語を生きて、どういう形で人類に貢献するのかというアピールですよね。そういうものが憲法を通じてなされていくのです。だから、憲法に対する態度が定まることと、SDGsに対してもっとコミットした対応をしていくということは車の両輪かなという感じがしています。


次回 Part5は、
『問題解決に向け、「認識のゆがみ」を埋めるための対話を』
についてお届けします。


【対談者 プロフィール】


大澤 真幸氏
社会学者
CCI FUTURE IMPACT Forum座長

千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。
1990年代より、理論社会学の立場から現代社会の変容を総合的に分析し、論じてきた。著書に『ナショナリズムの由来』(講談社、毎日出版文化賞)、『不可能性の時代』(岩波新書)、『量子の社会哲学』(講談社)、『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎との共著、中央公論新書大賞)、『自由という牢獄』(岩波書店、河合隼雄学芸賞)、『日本史のなぞ』(朝日新書)など著書多数。個人思想誌『大澤真幸THINKING「O」』(左右社)主宰。現在、『群像』(講談社)誌上では、世界史の論理構造を解明する評論「〈世界史〉の哲学」を、『本』(講談社)誌上では、動物社会との比較の中で「人間」の本質を考察する「社会性の起原」を、それぞれ連載中。


木村 草太氏
東京都立大学 法学部教授
CCI FUTURE IMPACT Forumメンバー

東京大学法学部卒。同助手を経て、現職。 中学時代から法律に興味を持ち、高校3年生で司法試験の1次試験に合格。助手論文を基に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)を上梓。法科大学院での講義をまとめた『憲法の急所』(羽鳥書店)は東大生協で最も売れている本として、全法科大学院生必読の書と話題となる。
著書に『テレビが伝えない憲法の話』(PHP新書)、『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)、『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』(晶文社)など。