CCI FUTURE IMPACT Forum for SDGs

各専門家からみた現在の状況とこれからの持続可能な社会について、
CCI FUTURE IMPACT Forum座長の大澤真幸氏と
あらゆる分野の専門家からなるメンバーの対談をお届けしてまいります。

今回は、Part1Part2に引き続き、
憲法学者の木村 草太氏と大澤 真幸氏のスペシャル対談のPart3をお届けします。



【第9回】憲法学者からみるコロナ禍における法治主義と社会の関係からみた現状と持続可能な社会とは
憲法学者 木村 草太氏 × 大澤 真幸氏

Part3(全5回)
普遍的価値の追求とは SDGsと憲法に共通するもの


-大澤氏:
木村さんのご専門の憲法の関係でいくと、井上達夫さんが以前より憲法9条削除論を唱えています。井上さんのお考えとして、憲法9条に対してあまりにも適当なことがなされるので、そのことを通じて我々の法感覚全体がずれていくことを懸念し、憲法9条そのものを削除した方が安全だという議論をされているのだと思います。法や正義に対して矛盾した態度をとると、いつの間にかそういうことが法や正義全体に対して広がっていくということが起きると感じました。今回のことで、我々の中で崩れてしまった政治や法に対する信頼や、政治というものはこういうものであるという感覚のずれが拡がっていくのは恐ろしいですね。


-木村氏:
私は井上先生とは、9条の解釈について、あれが成り立っているかどうかという点では立場が違うのですが、ひとつのものが崩れれば全体が崩れていく、広がっていくというのはその通りだと思います。

安保法制の際、テーマとなったのは集団的自衛権なのですが、実際に使われるであろうと思って反対した方は少なかったのではないかと思いますし、実際に使われるという感覚を持っている人は政府の中でも少なかったように思います。あの後、裁判になりまして、ある自衛官がこれから違憲な命令が出されるかもしれないから、その命令が出たらそれは違憲である確認をしてほしいという裁判を起こしています。
このように、まだ出ていない命令について裁判を行う場合は、かなり高い可能性でその命令が行われるという状況でなければ、そもそも裁判所は訴訟を認めてくれません。
例えば、君が代に反対する先生が、卒業式で起立命令を出すのをやめてくれといったケースの場合、卒業式はほぼ行われることが想定され、命令が出る可能性が高いため訴訟として認められるわけです。

しかし、今回の集団的自衛権の行使についてはどうかという論点において、政府が何と言ったかというと、実際に行使される可能性は極めて低いので訴訟は勘弁してほしいと主張したわけです。つまり、政府自身が裁判になってみると、あれだけ切迫しているといったものの、命令が出る可能性は極めて低いという認識だった。そのことは多分色々な人がわかっていたことだと思います。問題なのは、そこでの法に対する政府の態度、あるいは法制局長官に対し、政権の言う通りにしなければ放り出すぞという態度をとったことで、法制局の仕事に大きなダメージを与えたわけです。

最近、法制チェックが甘くなっているというニュースが出始めていますが、法制局の伝統を破壊してしまったことからくるゆがみなのだろうと思います。安保法制というのは安保の問題のようでいて、安保の問題だけではなかったのだとお話しを伺っていて思いました。


-大澤氏:
私も井上さんがおっしゃっていることに賛成ではないのですが、心配されていることについてはよくわかります。

それでは、少し話題を変えてSDGsについてお話ししたいのですが、木村さんは憲法というところから、日本の基本的な態度や日本はどのような物語で生きようとしているのか、という視点をお持ちかと思いますが、SDGsについてどのようにお考えになっているかお聞かせください。


-木村氏:
近代的な、普遍的な価値観を改めて言い直しているという印象がありますね。


-大澤氏:
そうですね。SDGsというのはベースにある価値観を概念として取り出してみれば、別に新しいことを言っているわけではない。しかし、それを言う背景にある切迫感というのが深刻なのだと思います。世界中の人が平等でなければならないことは、ずっと言われてきたわけですが、お題目のように言っていた時代から、もっと具体的な差別や格差や貧困差が国内にも海外にもある。環境の問題もずっと言われていますが、以前よりももっと切迫した状況の中で言われているという気がします。

例えば木村さんのご専門の憲法に関して言えば、70数年間、もうじき80年近くになりますが、一行も変えていないわけです。世界ではSDGsのようなことが言われ、状況の変化に合わせて対応すべく変えてきています。それに対し我々は、戦争に負けた時に始めた憲法から一歩も前に進んでいない。もちろん、それは悪い憲法ではないからということもあるのかもしれませんが、しかしSDGsが出てこようが、何が出てこようが憲法としては対応していない。人類レベル、グローバルなレベルで切迫した事柄が起きているにもかかわらず、日本だけがその切迫さから、蚊帳の外にいるような感覚を覚えるのですが、いかがでしょうか。


-木村氏:
何か新しい問題が起きたときに、どこのシステムで対応するかというのはもちろん様々なので、条約で対応できるものもあれば、法律を使うこともあれば、憲法という手段を使うところもあればということだと思います。なので、憲法を動かしているかどうかについては、特に関係があるとは思いません。


-大澤氏:
憲法を変えなければならないわけではなく、憲法と関係があるというわけではない。私もどちらかといえば変えない方がいいと思っているのですが、なんといいましょうか、日本人の停滞感のような存在といいますか、日本人が憲法を変えない理由は何なのでしょうか。


-木村氏:
その理由はやはり、普遍的な価値の追求という観点からの改憲提案がなされにくい環境がずっと続いているところからきているように思います。

例えば9条の改正というテーマですが、あれ以上軍事力を切り詰めるという憲法はなかなか想定できないため、どうしても軍事力を拡大し、海外の紛争に対して何等かの価値をもって介入をするという方向での憲法改正になるわけです。そういった改正をする場合、やはりあれは日本の戦争の反省を踏まえてできた憲法ですので、当然ものすごく強い戦争への反省があり、二度と繰り返さないから、そのシステムを整えたから、そして私たちの心も変わったから、だから9条を改正しようという話になるわけです。

しかし、9条改憲論の主流のすべてではありませんが、歴史修正主義に近いところにあったか、遠いところにあったかということだと思います。9条改憲論を主張する人が、積極的に従軍慰安婦問題の解決に動こう、韓国の人々の尊厳の回復に尽力しようという運動をしながら改憲の議論を進めるという動きはあまり見られないわけです。このように9条改憲という論点を取っても、主張の組み合わせの相性が悪い形で主張されるわけです。

また最近で言いますと、同性婚を憲法が禁止しているから改正しようという主張をされる方がいらっしゃいます。現在の憲法で、先日、「平等原則違反」だというのが札幌地裁で書かれたように、憲法には平等を認める条項があり、同性婚は認められていると解釈できる。なのに、その解釈を支持するのではなく、敢えて憲法の解釈を狭めて読み、同性愛者の方々が憲法からは祝福されていないのだという、誰が得になるのかわからない読み方をし、敢えて改憲につなげようとする。やはり、これではなかなか普遍的価値に則った改憲提案にはなってきません。普遍的価値に則った提案がなされづらいという状況の中、なぜ普遍的価値に基づく運動が起きないのかという非常に根本的な問題に行き着くと思います。


-大澤氏:
おっしゃる通りだと思います。護憲を訴える側も本当の意味で普遍的な価値に則った主張ができていないような気もします。夫婦別姓問題はジェンダーの平等ということで普遍的な価値かもしれない。9条はおっしゃる通り、日本の敗戦体験に基づき作られた、ある意味で極端な平和主義に基づいたものであり、ある種の普遍的価値と言えます。しかし改憲に反対する人たちは、そのような普遍的な価値に基づいた言い方よりは、9条があれば日本は戦争に巻き込まれないで済むでしょうという言い方をする時がある。場合によっては、自分たちはフリーライダーの切符を持っているのに、なぜそれを放棄するのかと言っているように聞こえることがあります。そもそも憲法の中に普遍的価値が入っているからこそ憲法なのだと思うのですが、それに基づいてSDGsのことも言われているわけです。ところが、日本はそのような思考法に慣れておらず、それに対する情熱が著しく小さいため、SDGsに対する実際のコミットの仕方が非常に弱いということに繋がっている感じがします。


-木村氏:
確かに、そのように思いますね。


-大澤氏:
本当にSDGsが全て良いのかどうかはわかりません。先日、斎藤幸平さんと対談させていただきました。彼の著書である『人新世の「資本論」』がベストセラーになりました。これは気象問題を扱っていて、彼流のマルクス主義的な解釈からものを考えていくという内容のものです。その本の中には、気候問題に対して普通に行われている様々な対応、例えば再生可能エネルギーを増やすことや、電気自動車を増やすという程度では気象問題は解決しないのだという強い主張が書かれています。

しかし、日本はその程度では解決しない、といわれている程度にも到達していないのです。多くの日本人もこの問題については大事な問題だと思うでしょうが、実際に関わる意識は非常に低い。なぜ日本人はSDGsに対するコミットが著しく弱いのか疑問に思うのです。憲法を変えるか変えないかということではなく、憲法を蔑ろにする態度とSDGsに対してコミットしない態度というのは、どこか通底するものがあるような気がするのですが、いかがでしょうか。


-木村氏:
憲法が目指しているものとSDGsが目指しているものはそんなに変わらないはずです。すべての物事は、エネルギーの問題等は少し違うかもしれませんが、基本的には憲法に書かれていることです。例外は自然環境や生態系の保護ですが、それも禁止しているわけではない、普遍的価値を持つものだと思います。
なぜSDGsの目標に対してがんばることができないのかということですよね。私も非常に残念に思います。


次回 Part4は、
『我々は共同体として、どのような価値観、どのような物語を生きるのか』
についてお届けします。


【対談者 プロフィール】


大澤 真幸氏
社会学者
CCI FUTURE IMPACT Forum座長

千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。
1990年代より、理論社会学の立場から現代社会の変容を総合的に分析し、論じてきた。著書に『ナショナリズムの由来』(講談社、毎日出版文化賞)、『不可能性の時代』(岩波新書)、『量子の社会哲学』(講談社)、『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎との共著、中央公論新書大賞)、『自由という牢獄』(岩波書店、河合隼雄学芸賞)、『日本史のなぞ』(朝日新書)など著書多数。個人思想誌『大澤真幸THINKING「O」』(左右社)主宰。現在、『群像』(講談社)誌上では、世界史の論理構造を解明する評論「〈世界史〉の哲学」を、『本』(講談社)誌上では、動物社会との比較の中で「人間」の本質を考察する「社会性の起原」を、それぞれ連載中。


木村 草太氏
東京都立大学 法学部教授
CCI FUTURE IMPACT Forumメンバー

東京大学法学部卒。同助手を経て、現職。 中学時代から法律に興味を持ち、高校3年生で司法試験の1次試験に合格。助手論文を基に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)を上梓。法科大学院での講義をまとめた『憲法の急所』(羽鳥書店)は東大生協で最も売れている本として、全法科大学院生必読の書と話題となる。
著書に『テレビが伝えない憲法の話』(PHP新書)、『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)、『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』(晶文社)など。