CCI FUTURE IMPACT Forum for SDGs

各専門家からみた現在の状況とこれからの持続可能な社会について、
CCI FUTURE IMPACT Forum座長の大澤真幸氏と
あらゆる分野の専門家からなるメンバーの対談をお届けしてまいります。

今回は、Part1に引き続き、
憲法学者の木村 草太氏と大澤 真幸氏のスペシャル対談のPart2をお届けします。



【第9回】憲法学者からみるコロナ禍における法治主義と社会の関係からみた現状と持続可能な社会とは
憲法学者 木村 草太氏 × 大澤 真幸氏

Part2(全5回)
「緊急事態」の法的定義と「緊急事態」への対応とは


-大澤氏:
「緊急事態」について伺いたいのですが、これは法的にはどのように定義すればよいのでしょうか。あるいは諸外国における似たような法律、例えば今回ヨーロッパではロックダウンは合法的に可能であるが、日本ではできないなどと話題になりました。緊急事態というのは、法との関係でパラドクシカルなところがあります。普通の法が停止されるから緊急事態であるということもあり、程度はあれども法を停止する法のようなところがあるのですが、これは法律的、法学的にどのように定義するのかお聞かせいただけますでしょうか。


-木村氏:
これは大澤先生と國分功一郎先生のご対談にもありましたが、結局、緊急事態というのは法的には二つの定義の仕方がありまして、法律の枠内、法的な緊急事態と、法が停止されるという緊急事態の二つが存在します。

法的な緊急事態というのは、色々な法体系、法領域の中にあります。例えば、憲法の中には参議院の緊急集会、衆議院議員が解散中に参議院が代替するというのがありますし、原子力対策、コロナ対応インフルエンザも含めた感染症の緊急事態というものもあります。このようなものは、どちらかといえば、法律がもともとそれを想定していて、想定された条件を満たせば、普段と違う権限が国会に与えられます。いわゆる法の中での緊急事態です。

それとは別で、法の中では対応できない事態が生じたときに何が起きるかということを検討するといった本当の意味で緊急事態が存在するわけですが、端的にはそれはもう法ではないのだと考える法学者が多いわけです。我々は法の中でしか話をしないし、法を逸脱しているという評価はできるが、それ以上の評価はできないということになるわけです。


-大澤氏:
例えば戦争やパンデミックでもっと急激に人が亡くなっていくという状態の時に、緊急事態、法の外部の緊急事態に対し、首相なりが行使するというのは憲法学的には学理上はあり得るのでしょうか?


-木村氏:
それは事実上あり得る世界ということになります。首相に限らず、その時にたまたま目立っていた人がやるかもしれません。関東が壊滅していたら、大阪府知事が仕事をするかもしれない。あるいはその時の天皇陛下が独特の性格で、そこを仕切ってしまうかもしれない。まさに黒船が来た時に、天皇がやるのか、江戸幕府がやるのか、薩長がやるのか。何もあらかじめ決まったルールがなかったのと同じではないでしょうか。


-大澤氏:
数年前に橋爪大三郎さんが『国家緊急権』という本を書かれました。そのようなことは敢えて憲法に書かない方がいいという考え方に対して、法の外のものがあり得るということを自覚した方がよいという感覚だと思います。それは危険なことでもあるわけです。憲法にも規定されていない権限、ある種の法の外の暴力があり得るということを前提にした考え。しかし、そういった考えが、ある時には必要になる場合があるわけですので、その議論から逃げてはいけないということかと思うのですが、木村さんはどのようにお考えでしょうか。


-木村氏:
事実上、それがあることは確かだと思います。そこに規範的な議論をしておくべきかどうかということが問題で、私はやはり規範的な議論はやっておいて然るべきかと思います。法が機能しない事態においては、人民の人権は蹂躙されてよいという倫理もありますし、その場面で指導者に要求されるのは、まさにその状態でもなお、人権をどうやって守るかなのだという理論もあり得る。そういう意味では、緊急事態における価値序列のようなものをあらかじめ非常に抽象的な形で議論しておくことは必要ですし、出来るのではないかと思います。橋爪さんのメッセージはそういうメッセージだと受け取っています。


-大澤氏:
これも単純に伺いたいことなのですが、カール・シュミットが著書『政治神学』の中で「主権者とは、例外状態に関して決断を下す者である」 と述べましたが、この場合の例外状態というのは、今の話ですと法の外の緊急事態と同じものだと考えてよろしいのでしょうか。


-木村氏:
カール・シュミットの緊急事態というのは、どう考えても規範として言っているわけですね。そうしますと、彼が言っていることというのは、普段使っている憲法法体系があり、主権者はその状態をいつでも停止して振舞えるべきだという議論であると言っていいのではないかと思います。シュミットの価値観としては、そういう人が存在し、権限を行使すべきだと決めておいた方がよいという議論なのではないでしょうか。


-大澤氏:
なるほど。主権者というのはある意味、法以上の原理になるということでしょうか。


-木村氏:
カール・シュミットにとっては、今の文脈でいう法を超えるものを想定しておいた方がよい。置いておくべきだということなのだろうと思います。


-大澤氏:
昨年國分さんと議論した時、ヨーロッパは日本よりもかなり切迫した状況であったため、そのことが話題になったのです。アガンベンがイタリア政府を批判したわけですが、その時にアガンベンの念頭にあったのは、恐らくイタリア政府の振舞いはカール・シュミットのいう例外状態が発生している時のような振舞いであり、アガンベンはそれに対して賛成しかねるということだったのではないかと思います。
今後日本においても、もう一段階厳しい緊急事態や例外状態が襲ってくる可能性があり、その時にどのように考えるべきかについての議論をしておくべきではないかと思います。


-木村氏:
先程の法治主義ということと関連するのですが、私は、実はむしろ今回の事態の中で、日本の中で法の想定していない権限がいくつか行使されていると見ています。そういう意味では、緊急事態の際、権力者に対し無制限に権力が与えられると何が起こるのかという小さなシミュレーションが起きていたと見ています。

例えば、昨年2月の学校の一斉休校の件は、特措法の緊急事態が出ていないと本来は出来ません。特措法を適用したとしても、首相にそのような権限はありません。あれは安倍さんが首相という地位にかけて行った緊急事態の発動であるわけです。また、違法とまではいえませんが、マスクを配るという選択も、別に法律でマスク配布法があるわけではなく、予算を決めてやるということで、政府の権能で行われ、国会の関与は予算をチェックするだけだった。法に則ってマニュアルで対応しようというものを超えて、様々な権限が行使されたということだったのだと思います。実際の行使のされ方をみると、あまりよいものではなかったと思います。

そういう意味では国家緊急権といいますか、国家緊急手続のようなものが想定されていたほうがよかったのではないか。緊急事態だからこそ、専門家の意見を聞かなければならないであるとか、一人に権能を集中させてはいけないということなど、パンデミック的な緊急事態については、そのような教訓を残す1年であったと思います。


-大澤氏:
重要なことだと思います。素朴に伺いたいのですが、先の(安倍政権下の)政府が学校を休校にした際、合法的な根拠がないということでの不満というよりも、命令された内容に対しての不満が出ていたように思います。逆にいうと、この国は合法的な手続きがあろうがなかろうが、聞くときは聞くし、聞かないときは聞かないという感じを受けたのです。
普段から日常的に合法的に根拠がわからないものが行政的に命令され、通用しているといったことが多くあるような気がするのですが、いかがでしょうか。


-木村氏:
ここ数年でその傾向は加速している印象があります。安保法制の法の軽視の仕方というは大きかったと思います。その爪痕で、ますますそういう傾向は加速してしまった。学術会議の問題もそうです。法がこうだからということではなく、権力者がこうだからという理屈で法は後からついてくるというのであれば、後は法に何が書いてあっても何とでもできるわけです。そういう傾向の中で行われたのがこの対応です。しかも我々はそれに慣れているため、やったことが妥当かどうか、法的根拠や手続きなど、知ったことではないということになっている。緊急事態宣言もそうですよね。宣言を出し続けたのにも関わらず、最後は効果が薄れてきている。我々は緊急事態宣言が出ているかどうかで行動を変えるというよりは、感染者の数を見て緩むかどうかを決めているようなところがあるのではないかと思います。


-大澤氏:
お話を伺って思ったのは、一事が万事ではないが、安保法制のことで法を蔑ろにすることで、結局そうゆうやり方に我々が慣れてしまい、他の領域においても同じことが生じてしまうということでしょうか。


-木村氏:
その通りです。


-大澤氏:
コロナ対策の上手下手ということだけではなく、慣れてしまったもの、自明のものとして受け入れてしまったものはその後も効いてきます。我々の態度全体を規定してしまう感じがします。


次回 Part3は、
『普遍的価値の追求とは SDGsと憲法に共通するもの』
についてお届けします。


【対談者 プロフィール】


大澤 真幸氏
社会学者
CCI FUTURE IMPACT Forum座長

千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。
1990年代より、理論社会学の立場から現代社会の変容を総合的に分析し、論じてきた。著書に『ナショナリズムの由来』(講談社、毎日出版文化賞)、『不可能性の時代』(岩波新書)、『量子の社会哲学』(講談社)、『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎との共著、中央公論新書大賞)、『自由という牢獄』(岩波書店、河合隼雄学芸賞)、『日本史のなぞ』(朝日新書)など著書多数。個人思想誌『大澤真幸THINKING「O」』(左右社)主宰。現在、『群像』(講談社)誌上では、世界史の論理構造を解明する評論「〈世界史〉の哲学」を、『本』(講談社)誌上では、動物社会との比較の中で「人間」の本質を考察する「社会性の起原」を、それぞれ連載中。


木村 草太氏
東京都立大学 法学部教授
CCI FUTURE IMPACT Forumメンバー

東京大学法学部卒。同助手を経て、現職。 中学時代から法律に興味を持ち、高校3年生で司法試験の1次試験に合格。助手論文を基に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)を上梓。法科大学院での講義をまとめた『憲法の急所』(羽鳥書店)は東大生協で最も売れている本として、全法科大学院生必読の書と話題となる。
著書に『テレビが伝えない憲法の話』(PHP新書)、『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)、『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』(晶文社)など。