CCI FUTURE IMPACT Forum for SDGs

CCI FUTURE IMPACT Forum for SDGs 第6回目は、SDGsを考える際に忘れてはならない視点である、周辺の社会から見た状況や異なる文化の尊重や対話、紛争解決や相互扶助の在り方など、文化人類学者でアフリカの研究を専門とする松田 素二氏と大澤 真幸氏によるスペシャル対談をお届けいたします。



【第6回】文化人類学者からみた現状と持続可能な社会とは
文化人類学者 松田 素二氏 × 大澤 真幸氏

Part1(全4回)
正しい解は一つではない。必要なのは解法の中にあるコローニアルな思考を見つめる視点


-大澤氏:
本日はどうぞよろしくお願いいたします。ご専門のお立場でコロナ禍のアフリカの現状についてお聞かせください。


-松田氏:
パンデミックによって、グローバル規模で新しい行動様式が出現する、世界が変わるということは十分あり得ると思います。
私は、長い間、アフリカ東部、ケニアで調査しています。ケニアで1人目のコロナ感染者がでたのは3月13日。その後、WHOから「グローバル基準の正しいコロナ対策」が指示され、ナイロビのロックダウン、すべての学校閉鎖、教会活動の中止、夜間外出禁止令に至るまで、厳しく社会的距離を取る政策が導入されました。先進国ではなかなかすぐに実施することができなかったことだと思いますが、ケニアでは感染者が1,000人に満たない段階から、WHOより要望され、対応してきた状況にあります。現在、3万~4万人程の感染者なのですが(2020年10月時点、2021年6月時点では17万人超)初めての感染者が出て1カ月くらいの間に極めて素早く対応したことは間違いありません。

その時から、ナイロビで調査している方々に簡単な日記を書いてもらいました。「新型コロナ感染について新聞を読んだり、身の回りで感じたことを短くてもいいから書いてね」とお願いしたのですが、彼らにとってみれば、強いられたコロナ対策の影響を受けているものの、グローバルなパンデミックや新しい行動様式はそれほど身近ではない。これは、考えてみればわかることで、例えばHIV一つとってみても、1990年代のウガンダであったら、総人口の1割以上が感染し、20年後にウガンダの人口は半減するといわれていたわけです。今でも新規感染者は100万人を超え、90万人は亡くなっている。マラリアにしても、1年間にアフリカで2億人かかり、数十万人が亡くなっている。結核でも同様です。
このように、アフリカ社会には感染症による死が蔓延し日常化しているのです。我々のように日本に住んでいれば、感染症で死ぬということは稀な経験なわけですが、彼らからすれば、感染症に基づく死が身の回りにいっぱいあって、それに対し、身内が死に、葬式を出し、自分も感染し、ということを日々経験しています。
そういう状況を生きる人が体感するコロナ感染と、私たちが認識するコロナ感染が同じはずがありません。同じ新型コロナウィルスによって引き起こされる災厄にもかかわらず、異なる経験としてあることに気づくことが重要です。このグローバルなコロナパンデミックというのが彼らにとって何なのか。アフリカや彼らから見ると、今のコロナ禍というのは全く別なものが見えてくるわけです。

同じようにグローバルに蔓延しているとはいえ、日本やイギリスで捉え、議論して見えてくる世界と、アフリカで暮らす人々が経験するコロナ禍を通じて見える世界は違うのです。今回のコロナ禍においては、世界の不平等、あるいは物の見方の非対称というものを著しく感じます。といいますのは、彼らの日記を見ますと、ロックダウンで物の流通が遮られ、物価がすごく上がったとか、夜間外出禁止中に夕方出歩いて地域の住人が射殺されたということが書かれている。彼らから見ると、物価上昇や警察からのハラスメントがコロナの日常なのです。ケニアの新聞でもStay Homeとよく書かれているのですが、それは、ホームが安心な人にとってはそうでしょうけれども、Homeそのものが危険であったり、家にいては飢えてしまうような人々にとってみればStay Homeやリモートワークしろというのは、先進国(ケニアの人々はスワヒリ語で白人の世界、キズングーニ)の話でしかありません。

グローバルなパンデミックという時に、その議論の視点は、意識しなくても、やはりグローバルなシステムの中心部のものであって、周辺の人たちの生活から見た世界、見えるものは全く違うということを強く感じたわけです。それがものの見方(パンデミックを認識する眼差し)に潜むコローニアルな視点だと思うのです。


-大澤氏:
コロナとコローニアル。先日、柄谷行人氏がコロナについてのエッセーの中で、ポストコロニアリズムという言葉があるがコロナ後の世界に対して「ポストコロナイズム」というようになる。自分はこの言葉の発明者だからクレジットをつけておくと書かれていました。
今回のコロナの特徴は地球規模で起きているところですね。地球規模であるが故に、ケニアと豊かな国との差がはっきりしてしまう。平常時以上に、ますます差がはっきりしてくるような感じですね。
ケニアでは、皆さんステイホームなどの対策を重視しているのですか?


-松田氏:
政府が広報しているので、都会の中間層(今世紀に入って急激に膨張してきた新中間層です)は、我々同様にマスクをつけ、三密を避けという新しい生活様式に沿った行動をとっています。しかし農村部や半乾燥地帯に住んでいる人の日常にはそういうものはないですよね。マラリアとかHIVなどは、もっと身近に自分の命を脅かすものですし、エボラの時も非常に警戒していました。つまり、我々が知っている科学的知識を彼らは新聞なども読んでいますし、その種の科学的な知識を持っていないかというとそんなことはないのです。彼らはその上で、自分たち自身のやり方でリスクを判断し、解釈し、自分たちの生活の中で行動していると思います。

皮肉なことかもしれませんが、Ernest Wamba dia Wambaというコンゴ人で、ゲリラの戦士であり、政治家でもあり、学者でもある人が7月にコロナで亡くなりました。彼は筋金入りのマルキスト活動家なのですが、彼自身が「世界の見方」ということをずっと説いており、いわゆる今に生きるファノニストのようなものでした。今、我々が聞くような民主主義とか、自由とか、正しい保健衛生のあり方みたいなものが、アフリカで生活している人たちの暮らしとはかけ離れており、アフリカのエリートたちがそれを受け入れて、換骨奪胎して(専制的な)統治の手段にしているということを指摘していたのです。

WHOやユニセフ、Oxfamのような民間のNGO含め、彼らが言うグローバルな正しい助言の言説、それは科学的であったり、理性に基づくものなのだろうけれども、それに対する土着の知識人、活動家の人々の懐疑は1980年代よりもむしろ強まっているかもしれません。


-大澤氏:
そうなのですね。先進国もGDPがマイナス成長になる等、かなりのダメージを受けていますが、何とかなっているわけです。しかしながら、松田さんが研究対象にしている世界では、先進国と同じ対策を打ってもらわなければ困る状態でありながら、ステイホームすらできないという状況です。皆さんが従順に従った場合の被害というのは、もともと恵まれていない層の裾野がさらに拡がり、より厳しい状況になっていくわけですね。


-松田氏:
それは、想像を絶するような状況で、誰も従わないと思います。例えば、法と法廷による紛争解決や、公衆衛生でもそうですが、グローバルに正しい解決策というのが、上からもたらされて、それがアフリカで身を結んだという例を私はあまり知りません。

私が話を聞いたプロジェクトなのですが、住血吸虫がいる、極めて危険な水が川にあり、現に、その地域では風土病にかかって亡くなる子供が非常に多い状況だった。危険な川の水と生活飲料水を分離するというのは当たり前のことですよね。医学者、科学者が水質検査をし、これだけ危険だというのを示す。そこにNPOも入ってきて、紙芝居などを作り、正しい知識の啓発が始まり、井戸を掘って「この水を飲んでください」ということをやる。現地の人たちは礼儀正しい人たちなので、井戸の完成を拍手して喜び、引き渡し式を執り行って、地域の公衆衛生の改善を図ったということになるのですが、1年後にいくとその井戸をまったく使っていないわけです。そういうことはよく起こります。そうすると「どうしてせっかく作った井戸を使わないのか」、プロジェクトに関わったみんな疑問に思うわけです。
そこで反省会をすると、まだ村人に正しい科学的知識が行き渡っていないことが問題なので、地域の人たちを対象にセミナーを実施し、より正しい知識を徹底しましょうということになる。地元の小中学校の先生などが入ってセミナーをやるわけですが、そこから半年たって行ってみると、また使っていない。皆、理科で勉強しているし、その危険性がうそだとか、そんな風には思っていないですし、村人はその危険性を知っているわけです。にもかかわらず、別の判断をしたのです。
彼らにとっての川の水というものは文化的なものであって、家庭に必要な儀礼のための水なのですよね。彼ら自身が、全体の生活のシステムを熟知していて、科学知識もその中のOne of themだと考えているのです。このように、「これだけリスクがあるよ」といっても、子供の代になったらそっちをテイクするかもしれないが、今、私たちはこちらをテイクするということを言われました。

我々は、グローバルに正しい知識を受け入れる事が当然であり、唯一の正しい解だと思っていますが、正しい解に収れんするというのとは違う社会の在り方、人の考え方をどうみるかというのが今回のコロナのことで改めて難しい問題だと考えています。私はここで「反科学主義」を賞揚しているわけではりません。科学の名の下に、他の知や認識のあり方を侮蔑したり一方的に否定したりする「傲慢さ」は、コローニアルな思考とあい通じるものがあると指摘したいのです。
正しい解というのは、誰にとって正しいのかというのはありますが、科学的に正しければ誰も文句を言えないという前提で議論する世界と、それは知っているけれども、カードの一つであり、One of themだと考える世界ではなかなか対話が難しいなと。


-大澤氏:
大変興味深いとともに、非常に考えさせられます。彼らが科学的知識を理解できないからそうなっているのではなく、ある意味ではよく分かっているわけですね。普通であれば、科学的知識が足りないから正しく行動できないと思うわけですが、そういうことではない。


-松田氏:
百も承知なのですよ。それを飲んでは危ないというのは。


次回 Part2は、
「50年後、100年後の世界を見据えた発想と300年の不正義をどこかで正す ポストコロニアルなステージを」
についてお届けします。


【対談者 プロフィール】


大澤 真幸氏
社会学者
CCI FUTURE IMPACT Forum座長

千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。
1990年代より、理論社会学の立場から現代社会の変容を総合的に分析し、論じてきた。著書に『ナショナリズムの由来』(講談社、毎日出版文化賞)、『不可能性の時代』(岩波新書)、『量子の社会哲学』(講談社)、『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎との共著、中央公論新書大賞)、『自由という牢獄』(岩波書店、河合隼雄学芸賞)、『日本史のなぞ』(朝日新書)など著書多数。個人思想誌『大澤真幸THINKING「O」』(左右社)主宰。現在、『群像』(講談社)誌上では、世界史の論理構造を解明する評論「〈世界史〉の哲学」を、『本』(講談社)誌上では、動物社会との比較の中で「人間」の本質を考察する「社会性の起原」を、それぞれ連載中。


松田 素二氏
文化人類学者
京都大学アフリカ地域研究資料センター特任教授/特任研究員
CCI FUTURE IMPACT Forumメンバー

ナイロビ大学大学院修士課程を経て京都大学大学院文学研究科博士課程中退。
特に東アフリカ社会をフィールドにして、相互扶助や紛争解決のメカニズムに関する人類学的研究をしている。 1998年共編『新書アフリカ史』でNIRA東畑精一記念賞受賞。著書に、『日常人類学宣言!』(世界思想社)、『都市を飼い馴らす』(河出書房新社)、『呪医の末裔』(講談社)、『抵抗する都市』(岩波書店)『Urbanisation from Below』などがある。