CCI FUTURE IMPACT Forum for SDGs

CCI FUTURE IMPACT Forum for SDGs 第2回目は、SDGs達成に向けて経済と課題の解決が二項対立的に考えられることが多く見受けられる中、それらを解決するためのグローバルな連携や共有する仕組みについて、財政学、環境経済学者の諸富 徹氏と大澤 真幸氏によるスペシャル対談をお届けいたします。

【第2回】財政学、環境経済学からみた現状と持続可能な社会とは
財政学・環境経済学者 諸富 徹氏 × 大澤 真幸氏
Part3(全3回)新たな資本主義と人的資本投資の必要性。持続可能な社会のための社会システムの在り方とは


-大澤氏:
諸富さんはベーシックインカムについて、どのようにお考えでしょうか。SDGsとの関係でいけば、最終的にはベーシックインカムや、そこまでいかないまでもナショナルなレベルでのベーシックインカム的なものが必要ではないか、という具体的な議論がコロナをきっかけに活発になったと思いますが、いかがでしょうか。


-諸富氏:
まさに、コロナの影響ですよね。人為的に所得の獲得を止めたということになりますので、ベーシックインカムを考えざるを得なくなったというとことですよね。
私の一つの懸念は、理念的なことでいうとベーシックといえば国民全員に現金を配るということになりますので、普通に計算すれば財政的には持たないということです。それをどうするのかというのが一つ問題です。
しかし、基本的な生存権を保障するという意味で、これからの産業の育成を考えた際、全員が職に就くことを通じて、自分が生活して必要な所得を得ることができるという産業社会でなくなっていく恐れがあり、それが、今回の新しい資本主義のテーマであったわけです(拙著『資本主義の新しい形』)。

例えば、賃金の伸びに関して職業による両極化現象が起きていて、一方で、高度技能の人々はますますもてはやされて高い賃金を得るけれども、他方で、技能を必要としない対面サービス業では、人々は低賃金に喘ぐことになる。定型化された仕事はコンピューター化、情報化の進展で自動化され、中間管理的な職が消えていく中で、中間層は職を失い、所得の奪い合いが発生し、賃金下方圧力が働いていったというのが、1990年代以降のアメリカの労働市場で現実に起きたことです。労働経済学者によって、実証的に明らかにされた事実です。

そして今後、さらにA I化が進み、デジタル化がさらに進んでいく中で、こうしたトレンドは一層進展するとみられています。ゆえに、生存する上で必要な賃金を稼げないという社会になっていった時に、ベーシックインカム的なものがないと生存保障できないということが起きた場合どうなのだろうかと思います。それが望ましい社会だとは思いませんが、やはり、低技能の労働者の状況が厳しくなる可能性について、どのような対処がありうるのかと考えます。

他方で、社会保障制度一つとっても、経済の成長を抜きしにして、それを持続可能な形で維持することは困難だという現実があります。したがって、スウェーデンの社会民主主義も重視する勤労国家としての側面は、日本にとっても今後も重視する必要があるのではないかと思っています。
つまり、働いて所得が稼げる人には、国家に頼らずできる限り働いてもらい、税金を負担する側に回ってもらってもらう。少しでも多くの方々に勤労に参加してもらい、彼らの納税を通じて財源を捻出することで、社会の弱い立場の人々を支える政策も実行可能になります。

また、新しい産業の変化に対して、スキルの面で労働者が適応していくのを政府が支援していく必要もあります。それは、「積極的労働市場政策」と呼ばれるもので、労働者に教育・職業訓練を通じて技能を高めてもらい、より生産性の高い企業に移ってもらう必要があります。私の本(『資本主義の新しい形』)の中で人的資本投資の必要性ついて強く言及しているのは、このような背景があるからです。

そうは言っても、全員がうまくいくわけではない。工業社会というのはそういう意味で幸せであったかなと思いますね。手に職という言葉がありますが、そうやってみんながある程度、安定した職について家族を持つことができ、暮らしていける所得を得られた時代だった。しかし、今後予想されるさらにデジタル化されたあとの資本主義の中で、従来のような形の産業社会になれるのかという懸念はたしかにありますよね。

ですので、どうしてもベーシックインカム的なものが提起されてくるのかなとも思います。
ただ一方で、新自由主義の観点からベーシックインカムを推進しようという人たちもいます。彼らの議論では、想定されるベーシックインカムの水準が、人々がそれで十分生活できる水準よりもはるかに低い水準が想定されています。それだけでなく、国民全員に現金給付を行う財源を捻出するために、医療や介護などの現物給付をなんと廃止して、それで浮いた財源をベーシックインカムに回すことを構想しています。
これでは、社会保障のリストラに他なりません。医療や介護の現物給付のニーズが高い人々は、ベーシックインカム導入後は、医療や介護が完全に民営化されるので、高い利用料金を負担しなければならなくなります。ベーシックインカムしか所得がない人々や、低所得の人々は支払うことができず、事実上、介護や医療から排除されてしまうでしょう。これはまずいと思いますね。
現物給付を切って、ベーシックインカムに切り替える。お金を渡すから、後はあなたたち自分で勝手にやりなさいという新自由主義的世界です。同じベーシックインカムなのですが、違う視点のグループが、同床異夢で存在するというのが非常に気になります。


-大澤氏:
結論は同じであるが、本来の狙いが全く逆の方向ということですね。

もう一つ伺いたいのですが、宇沢弘文の社会的共通資本という概念がありますね。今考えると先見性があったのではと思うのです。宇沢さんはアメリカに渡ってオーソドックスな経済学者として成功されていたわけですが、経済学そのものに疑問を持たれたのではないかと感じています。
日本に戻られてからは経済学という学問を少し広げていくという形で仕事をしたと思うのです。経済学では本当の問題を解決できないのだという考えの中で、社会的共通資本という概念をつくり、ものを考えはじめたのだと思っています。

今回のコロナやそれ以前からの環境問題を考えていくにあたって、この概念を一つバージョンアップすることで問題を考えられるのではないかと思っているのですが、ご専門が関連しているので伺ってみたいと思ったのです。いかがでしょうか。


-諸富氏:
社会的共通資本は、彼なりに悩んで出してきたコンセプトですよね。佐々木実さんが伝記を出されましたよね(『資本主義と闘った男―宇沢弘文と経済学の世界』講談社(2019年))。あの本にも書かれているのですが、彼は東大の数学科出身で数学が得意なのですよね。その観点から、経済学で数理的に解析する能力を高く発揮した。だけど、彼がもともと経済学にはいったのは、河上肇の貧乏物語を読んでからですから、本当にやりたいことと、経済学者として学会で求められることとが、やっていることが進めば進むほどどんどん乖離していったのではないかと思うのですよね。
私がお世話になっている、宇沢さんと親しかった先生方から彼のエピソードをよく伺いましたが、J R水俣駅で、朝ベンチで横になっているおじさんがいるっていうので噂になっているとう話があって、見にいったら宇沢さんが寝そべっていたと。
とにかく現場主義で、日本に帰国した後は公害の現場を回って、それまでの理論モデルや数学で解いていた世界からバーンと180度変わるみたいな形で、現場で苦しんでいる人の問題を研究者が解決できるわけではないかもしれないですが、ともかく引き受けて、経済学の問題として考えようという姿勢を貫いたわけです。そこは本当に素晴らしいなと思います。ただそこで終わっていてはジャーナリストと変わらないので、そこでどうやって彼が考えようとした問題を経済学の問題として引き受けるかという課題が宇沢さんにはあって、それが社会的共通資本の理論を彫琢することだったわけですね。

一方で、社会主義があって資本主義がある中で、社会主義ではない資本主義のスキームの中だけれども社会主義の本来持っていた良い部分をシステムとして入れ込んでいくにはどうするかということで悩まれていたような気がします。読書ではなるほどこういう姿かというのはわかるのですが、最終的には数学的には解けなかったというように聞いています。そういう意味では、社会的共通資本論は、経済理論としては未完なのかもしれません。

ただ、数学的に解けるものという視点から入ったら、あのような概念は出せなかったと思います。市場にとって異質なものが入っていますので。だけれども、人間が生存する権利あるいは社会的な権利を担保するためには何が必要か、それを経済的に回すにはどういった仕組みが必要かということを考えていったのが社会的共通資本なわけです。
個人的には、あの考え方からヒントをたくさんもらいましたね。いちばん良いのは、ストックという資本という概念を拡張したということで、社会資本から自然資本、制度資本、制度資本の概念は問題も多く含まれますが、しかし、市場では解決できない問題を考える際に、いったん資本としてとらえ、ストックとフローの区別をした上で議論を立てる。そのことによって、フローが蓄積していってストックが形成されていくという、時間軸の議論が入ってきたわけですよね。
もともと、森林などの自然資源をストックとして捉えた林業経済学の中から「自然資本」という考え方が出てきたのですが、木が成長する速度を超えて伐採してしまうと森は縮小する一方ですよね。漁業も漁業資源ストックの再生産率を超えてとってしまうと漁業ストックは縮小し、枯渇する。最適な採取率などを計算し、なおかつ、その制約条件のもとで利潤を最大化するにはどうするか?というモデルがベースにあり、それを応用すると、例えばこの社会が持続的に生き残っていくためにはどうするかを考えるという問題に応用できるのですよね。
それが、「持続可能な発展」を経済学的に解く場合の問題設定になります。ただし、経済の市場モデルだけですと、そういうことは全部外部にいってしまって存在しなかったのです。目の前の利潤を最大化することにしか、狭い意味での経済学は興味がなかった。


-大澤氏:
ありがとうございます。今のことを伺った理由なのですが、私は今回のコロナもそうですし、環境もそうですし、SDGsに取り上げられている様々な問題もそうですが、ある意味で私的所有と言いますか、そういう概念は相対化してみることがどうしても必要だと思っているのです。
例えば、先程話題になっていた薬です。薬で儲けたい企業がある一方で、薬は人類平等に分配すべきだという考えがあります。企業は薬を開発して利潤を得る権利があると考えるわけですが、それに対して、薬は人類の英知の産物として生まれてきたものであるから、社会的共通資本と考えるべきで、過大に私的所有権を主張し自分だけが儲けるのではなく、色々な人に分配して人類が救われることをよしとする考えがあります。社会的共通資産という概念を使って私的所有の概念をある程度縮小することが考えられないかと思うのです。

あまりに私的所有の取り分が大きすぎると言いますか、そのことが格差を生み、色々な弊害を生んでいる気がしたのでお尋ねした次第です。


-諸富氏:
それはありますね。私的所有と、最後まで問題意識があったのは、ずっと資本主義か社会主義かという問題だったとは思います。宇沢さんの頭の中では、社会主義は最後まで捨てていなかったと思います。すでに資本主義の中では考えているけれども社会主義的なシステムの持っていた良い部分、つまり、私的所有権を全面に押し出すのとは全く違ったシステムです。
彼は、環境問題を解決するには、その環境に対する私的所有権を強化すればよい、といった考え方に強く反対していました。ただ、そうした彼の経済観をどうやって経済モデルに入れ込むのか、経済学の世界では、それが数学的モデルとしてで解ききれることを要請されていた。それが、彼の最大の悩みだったということだと思います。最後までやろうとはしていましたが最後まではたどり着かなかったのですね。


-大澤氏:
彼の年代は戦争のとき、中学生くらいですね。あの世代はみんなマルクス主義に入れ込んでいたから、数学は若い頃から得意だったけれど、心はどちらかというと社会問題の方に向いていて、頭の思考は数学的なのでしょうね。
佐々木さんの本にも出てきましたけれど、不破哲三氏と同期なのですね。不破さんは確か物理学で、宇沢さんは数学専攻ですが、今と違ってその頃の理科系の人はマルクス主義や資本論の勉強会をやっていたのですね。不破さんの方が資本論の読みとしては深くて、「宇沢君はその程度の資本論の読みでは共産党入党試験に合格できないよ」と不破さんに言われたなどというエピソードがありました。数学が得意な彼は、経済学の中心には数学があることを学び、経済学をやったら成功し経済学者として超一流になったというのが宇沢さんのオーラに繋がっていると思います。でも、最終的には本来の自分の問題意識に戻ってこられたという感じですね。


-諸富氏:
あの世代の経済学者の魅力ですよね。両方兼ね備えている。


-大澤氏:
数学をやっている人が資本論を勉強しているかというと今は少ないですし、人文系の人でもあれ程数学ができる人というのはそうはいない。少し難しい時代になってしまったなと思います。両方が必要な時なのですけれどもね。


-諸富氏:
今こそそうかもしれませんよね。言っていることは経済学、経済分析に忠実ですが、どうもたぶん心の下のこの辺には正義感とか社会的平等への心持ちがにじみ出ている人たちが、当時はたくさんいましたね。


-大澤氏:
我々が今気になっている問題を考えようとすると、一つの分野だけで完結するとは思えません。例えば、今回のコロナ問題にしても、感染症の疫学の専門家がもちろん重要ですが、その人たちだけで解決できるわけではなく、例えば諸富さんのような経済の専門家も必要ですし、あるいは今後のものの考え方、例えば倫理とか哲学というのが必要になってくるかもしれません。社会的には様々な知や情報の総合が絶対的に必要になってくると思っています。

諸富さん、この点についてはご意見いかがでしょうか?


-諸富氏:
こういう時代だからこそ、様々な分野からのアプローチが求められますよね。例えばですけれども、コロナ禍がもたらす社会インパクトについて、医学的疫学的視点から、経済学的視点から、あるいは哲学的・倫理学視点から数回シリーズで、一つの問題を様々な視点から検討を加え、討議してくというのも、とても意義がありますよね。


-大澤氏:
今後もフォーラムで色々と議論できればと思います。本日はありがとうございました。




【対談者 プロフィール】


大澤 真幸氏
社会学者
CCI FUTURE IMPACT Forum座長

千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。
1990年代より、理論社会学の立場から現代社会の変容を総合的に分析し、論じてきた。著書に『ナショナリズムの由来』(講談社、毎日出版文化賞)、『不可能性の時代』(岩波新書)、『量子の社会哲学』(講談社)、『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎との共著、中央公論新書大賞)、『自由という牢獄』(岩波書店、河合隼雄学芸賞)、『日本史のなぞ』(朝日新書)など著書多数。個人思想誌『大澤真幸THINKING「O」』(左右社)主宰。現在、『群像」(講談社)誌上では、世界史の論理構造を解明する評論「〈世界史〉の哲学」を、『本』(講談社)誌上では、動物社会との比較の中で「人間」の本質を考察する「社会性の起原」を、それぞれ連載中。


諸富 徹氏
京都大学大学院経済学研究科地球環境学堂教授
CCI FUTURE IMPACT Forumメンバー

同志社大学経済学部卒業。京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。横浜国立大学経済学部助教授、京都大学大学院経済学研究科助教授、同公共政策大学院助教授、同大学院経済学研究科准教授を経て、2010年3月から現職。この間に、内閣府経済社会総合研究所客員主任研究官、ミシガン大学客員研究員、放送大学客員教授を歴任。2015年4月より、ミシガン大学グロティウス客員研究員、および安倍フェローを務めた。主著に、『環境税の理論と実際』(有斐閣、2000年:NIRA大来政策研究賞、日本地方財政学会佐藤賞、国際公共経済学会賞を受賞)、がある。他に、『環境〈思考のフロンティア〉』岩波書店(2003年)、『経済学〈ヒューマニティーズ〉』岩波書店(2009年)、『地域再生の新戦略』 (中公叢書、2010年:日本公共政策学会賞著作賞を受賞)、「『低炭素経済への道』岩波新書(共著、2010年)、『脱炭素社会とポリシーミックス』日本評論社(共編著、2010年)、『私たちはなぜ税金をおさめるのか‐租税の経済思想史』 新潮選書(2013年:租税資料館賞を受賞)、『電力システム改革と再生可能エネルギー』日本評論社(編著、2015年)、『再生可能エネルギーと地域再生』日本評論社(編著、2015年)、『人口減少時代の都市』中公新書(2018年2月)、『入門 地域付加価値創造分析』日本評論社(編著、2019年)、『入門 再生可能エネルギーと電力システム』日本評論社(編著、2019年)、『資本主義の新しい形』岩波書店(2020年)、『グローバル・タックスー国境を超える課税権力』岩波新書(2020年)など。