CCI FUTURE IMPACT Forum for SDGs

CCI FUTURE IMPACT Forum for SDGs 第1回目は、米国大統領選挙目前ということで、
国際ジャーナリストの堤 未果氏と大澤 真幸氏によるスペシャル対談をお届けいたします。

【第1回】ジャーナリストからみた現状と持続可能な社会とは
国際ジャーナリスト 堤 未果氏 × 大澤 真幸氏
Part1(全3回):ジャーナリストの立場から見た現在の状況




-大澤氏:
堤さん、本日は、どうぞよろしくお願いいたします。
まず、はじめに、コロナが全世界的に蔓延している状況の中、今をどのようにご覧になっていて、どのような問題が浮上してきたとお考えかなどをお聞かせください。


-堤氏:
私はジャーナリストの立場から、今回のパンデミックがジャーナリズムにどのような影響を与えるのかを、当初から強い関心を持って見ていました。Covid-19はジャーナリズムに2つの大きな影響をもたらしました。一つは、全世界に広がった未知のウィルスについて、誰も正確な情報を持っていなかったために、先の読めない不安が瞬く間に社会を覆ってしまった事によるもの。もう一つは、近年じわじわとジャーナリズムの存在意義を侵食しつつあったものが、パンデミックに後押しされた事で一気に既成事実化してしまった事です。


私は2001年のアメリカで起きた「9・11同時多発テロ」を現場で経験したのですが、今回の新型コロナウィルスの状況は、あの時と非常によく似ていると思います。 あの時目の当たりにしたのは、「9・11」という事件をきっかけにアメリカという国家が変質してゆく姿でした。未知のものと遭遇し、社会全体が不安や恐怖に侵食されてゆく過程の中で、大衆心理がどうなるか、その結果社会がどう変わり、または意図的に変えられていくのか?為政者や利権集団がこうした危機をどう利用するのか、という事に到るまでですね。 ある日突然未知のものに日常が壊される、という意味では今回のコロナウィルスも状況はよく似ていますが、違うのはその舞台が全世界であること、もたらされる影響や今後の変化のベクトルは、9・11とは比にならない程ドラスティックになるだろうという事です。


先の読めない不安が覆う非常事態の際、ジャーナリズムがどうなるか?
人々は最新情報を誰よりも先に手に入れたくなります。すると、それを提供するジャーナリスト、記者、テレビのディレクターなど、送り手側はできるだけ早く最新情報を提供することに意識がいってしまい、ニュースの優先順位が変わってしまうのです。 
【スピード】が最優先になり、情報の精度や出所、一つの事象を他の角度からみたらどうなるのかといった、一拍おいて検証するステップがすべて飛ばされてしまう。
例えば、今回、WHOやアメリカのCDC、各国当局からの感染症関連情報は、出される側からSNSなどを通して瞬時に世界を駆け巡り、人々はすぐに飛びついては反射的な反応を見せていました。どこのメディアも、いかに他社よりも速く新情報を流せるかということに集中していた。
ところが、国際機関や当局からの情報はコロコロと変わりましたよね。もちろん、未知のウィルスですから、いろいろなことが不透明な中、一度出た情報が、その後翻されることも多々あるでしょう。でも本来ジャーナリズムには、どのような状況下であっても情報を検証する役割がある。1つの情報がコロコロ変わる時、受け手と同じように新しい内容を追うだけでなく、変わったこと自体にも目を向け、疑問を持ち、冷静に検証すること。
例えば、ウィルスの危険性に対し、世界が指針とする国際機関からの情報が翻る。
果たしてそれは本当にウィルスの突然変異によるものだったのか?
それとも別な背景があったのか?いろいろな立場やお金の流れなど別の力学が働いて意図的に変換されたのか?など、きちんとジャーナリストが検証して、同時にセットで投げてゆく。たとえ後追いであったとしても出さなければならなかったと思います。
しかし、そのような問題提起をした記事がどれだけあったかというと、ほとんどありませんでした。記者たちは、情報を追いかけることに必死で、立ち止まって、対象から距離を置き、冷静な目で精査するという部分は、忘れられてしまったのです。

この傾向は10年-15年位前くらい前から、ジャーナリズムの世界に急激に浸透してきていましたが、新型コロナウィルスパニックによって一気に加速し、暗黙のうちに世界規模で認知されてしまった。これが、私がとても懸念していたことの一つです。

-大澤氏:
なるほど。非常に重要なお話ですね。おっしゃる通り、人間はきちんとした判断をする際、立ち止まって考える。個人的なことでも社会的なことでもそうですよね。
渦中で考えるのではなく、渦中から身を引いて考えることで、我々は常に行動ができるというのが基本なのですが、ある時期から人間の考える速度、社会を営んでいる行動の速度が、いちいち考えていては間に合わないという状況になったのですね。
普段でも、ある政策的な判断にしても、企業の投資判断にしても、それが最終的にどういう結果になるかなどをじっくり考えている場合ではなく、どんどん判断をしていかなければならないという状況です。

危機的状況の場合、立ち止まって考えている時、新たな事が起きてしまう。
人間の思考の持っている基本的なリズムと、人間が作っている社会やアクションのスピードとにズレが生じてきたのですね。
そのズレの極限的なケースが危機的状況のときに出てきてしまう。 どうすればいいのか?

今回パンデミックが起き始めた時に、イタリアの哲学者アガンベンが新型コロナ対策に関する哲学的な考察を行って、バッシングを受けました。今から振り返ってみると、元になっている情報が著しく不正確だったのですが、彼はその情報に基づいて判断を行っていたのです。
哲学者や知識人が人類全体の運命を考えるというような判断をする場合、ある正確な情報を立ち止まって考えることが必要なのですが、そういうことをやっていることが不可能な社会となってしまっています。このような時に、ジャーナリズムがどう対応すべきかというのは次の大きな課題ですね。


-堤氏:
はい。今大澤先生がおっしゃった、思考のリズムというのは非常に大切なポイントだと思います。現象の本質を「哲学」が掘り下げる際に、ベースとなる正確な情報を提供するのがジャーナリストの仕事だとすると、今起きている社会の変化はまさに、その前提が崩れていっているからです。何もかもスピーディに流れ、目先のものだけに集中し、立ち止まることをしなくなる、この傾向を大きく加速させている最大の原因は、テクノロジーの進化が早すぎる事でしょう。
例えば、日本には800万近い部数をもつ全国紙があって、編集デスクがしっかり精査した紙媒体の情報が国中の隅々までいっていたものが、年々大幅に部数を落としてインターネット記事にかわり、新聞よりもテレビよりもTwitterを見たほうが、情報が早く入るようになった。皆がそれに気づいてしまった時に、送り手側も情報をものすごいスピードで求められ、記事自体も、新聞が売れないからネット記事に載せよう、となっていく。
でも、デジタルに載せる時に気にしなければならない条件は、新聞とは違います。
新聞は信頼性や、情報の精度が重視されますが、プラットフォームがデジタルになると、再生回数やスピードの方が重視され、優先されるからです。
すると記者の側も、情報の精度より、どれだけ早く、どれだけ頻繁に、どれだけ大量の記事を一人の記者が出せるのか、ということが判断基準に取って代わってしまう。人々が新聞ではなく、インターネットニュースをスマートフォンで見るのが日常になった時、記者の優先順位は変わらざるをえなくなるのです。
だからこそ、ジャーナリズムの役割とは一体何なのか、国にとってどういう存在であるのか?ということを、ジャーナリストだけでなく、ジャーナリスト以外の人々が、一つの共通テーマとしてしっかり議論していく場が必要だと思うのです。

以前、NHKで大澤先生とメディアについてのディスカッションをした時に、「公共放送」というものについて再考する必要性を論じましたよね。
あの時、一体今、国家にとって、私たちにとって、公共放送とはどういう価値があり、どういう位置づけで、何をもたらすものなのか?という話を、長時間かけて議論しましたが、今回のパンデミックで、ニュースの価値が「質」より「スピード」で測られる事がこのまま常態化されてしまう前に、ぜひ立ち止まって考えたいテーマの一つです。これはある意味「コロナ後の世界」で私たちが情報というものとどう向き合ってゆくか、そしてジャーナリズムの社会的立ち位置がまるっきり変わってしまうかもしれないという、そういう岐路に私たちは立っていると思うのです。


-大澤氏:
長い目でみると、新聞が普及した際には、その情報の伝達を驚くべき速さだとおもったわけです。19世紀の初めに多くの人が新聞を読むようになった時、新聞は「1日だけの大ベストセラー」だと、スピードがありすぎることに対して揶揄されるようなことを言われたのですが、今考えると、新聞は、1日の間は持つわけです。新聞には重要な機能があって、朝の新聞を読んで昨日何があったかを知る。一番重要なのは記事の内容ではなく、むしろ、記事の配置やどれだけの面積を割いていかということから、読者は何が重要だったかを判断するようになる。事柄の優先順位が分かるわけです。少なくとも昨日一日を振り返ったときには「これが一番重要だったんだな」と考える。1日というスパンですけれども、1日というスパンで人間が動くようになるわけです。
ところが、インターネットになると1日どころではなく、「何分間のベストセラー」という状態になってしまい、事柄の重要度が分かりづらい。
SDGsを考える際、持続可能な社会を考えるということは、何世紀という人類スパンでものを考えなくてはいけない。大抵、重要なことは100年スパンで影響を与えることで、気候変動をどうするかとか、農業の在り方をどうするかとか、これからのニュース対策などもそうです。100年単位で影響することを考え、決定しなければなりません。他方で僕らの頭の回転というか必要な情報は、一日も持たないような情報で判断しなければならない。僕らがやろうと思っている、もしくはこれからやらなければならないことが持っている時間的なインパクトの大きさと、僕らがその時に必要としている、あるいは実際に得ることのできる情報が持っているタイムスパンの短さの間にはものすごくギャップがあって、これを何とかしなければ正しい判断はできないのではと思うのです。
例えば、今日一日にとって、あるいは1時間にとって適切なことと、何世紀にもわたって人類全体の持続に適切なことにはギャップがありますよね。それをどうするのかという問題が出てくると思います。


-堤氏:
本当にそうですね。そのギャップの部分をどう埋めてゆくのかという所に、私たち人間の「知性」が問われて来るのだと思います。
大澤先生のおっしゃる、記事の紙面配置というのは、新聞社の思想が現れるところですよね。各社でそれぞれ違いはあれども、その背景には、新聞が提供する情報の「公益性」というコンセンサスがありました。
ところが、インターネットが台頭してきた時、そこにはどこまで公益性というものが存在するのか?というのは非常に難しい。ネット記事は、公益性よりも、閲覧数や掲載頻度をベースにしたビジネスモデルになっているからです。
私たちは、新聞と比べればネットの方が早いし便利だと安易に思ってしまいますが、価値基準が異なるプラットフォームから手に入れる情報は、決して同じではありません。
そのことを意識するかどうかが、ジャーナリストだけでなく、受け手の側にとっても、今後非常に重要な鍵になって来るでしょう。
最近の話題でもう一つ、米国大統領選挙とパンデミックが同時並行している中で、アメリカの選挙運動がこれまで以上にデジタル化してきている事も象徴的ですね。
どんどんスピード重視が加速し、個人向けにカスタムされている。選挙報道というものもパンデミックの下でものすごく変わってきていることを感じています。


次回 Part2は、「コロナ禍における米国大統領選挙とデジタル化の影響」についてお届けします。

【対談者 プロフィール】


大澤 真幸氏
社会学者
CCI FUTURE IMPACT Forum座長

千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。
1990年代より、理論社会学の立場から現代社会の変容を総合的に分析し、論じてきた。著書に『ナショナリズムの由来』(講談社、毎日出版文化賞)、『不可能性の時代』(岩波新書)、『量子の社会哲学』(講談社)、『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎との共著、中央公論新書大賞)、『自由という牢獄』(岩波書店、河合隼雄学芸賞)、『日本史のなぞ』(朝日新書)など著書多数。個人思想誌『大澤真幸THINKING「O」』(左右社)主宰。現在、『群像」(講談社)誌上では、世界史の論理構造を解明する評論「〈世界史〉の哲学」を、『本』(講談社)誌上では、動物社会との比較の中で「人間」の本質を考察する「社会性の起原」を、それぞれ連載中。


堤 未果氏
国際ジャーナリスト
CCI FUTURE IMPACT Forumメンバー

ニューヨーク州立大学国際関係論学科卒業。ニューヨーク市立大学大学院国際関係論学科修士号。
国連、アムネスティインターナショナルNY支局員、米国野村証券を経て現職。米国の政治、経済、医療、教育、食、農政、エネルギー問題などを取材し、執筆、講演、各種メディアで発信。多くの著書は海外でも翻訳されている。『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命』(新潮文庫)で日本ジャーナリスト会議黒田清新人賞。 『ルポ・貧困大国アメリカ』 (3部作:岩波新書)で中央公論新書大賞, 日本エッセイストクラブ賞。同書は「岩波書店百周年-読者が選ぶこの一冊」トップ10入り。 2013年「日本の教育を考える10人委員会」委員。『沈みゆく大国アメリカ』 (2部作:集英社新書) 『政府は必ず嘘をつく (2部作:角川新書) 『社会の真実の見つけ方』(岩波ジュニア新書) 『日本が売られる』(幻冬舎新書)『支配の構造』(SBC新書)他多数。