田尻彰氏が経験を通して見た 広告の変遷

田尻 彰

田尻 彰

昭和17年2月5日生

昭和39年4月
株式会社電通入社ラジオテレビ局
昭和55年4月
同ラジオテレビ局スポット二部長
昭和61年5月
同ラジオテレビ局業務推進室長
平成3年4月
同築地第二営業局長
平成6年11月
同中国総括
平成8年7月
同第3営業局長
平成11年4月
株式会社電通総研副所長
平成12年6月
株式会社電通ドットコム代表取締役社長
平成17年6月
当社取締役監査委員長
平成22年1月
当社監査役
平成22年7月
当社顧問(現任)

私が電通に入社した年は昭和39年、東京オリンピックの年でした。テレビは黎明期から成長期へといよいよその真価が発揮されだした年でした。日本のテレビ媒体の発展史を見ると日本経済の高度成長とほとんど同調してきたと言えるでしょう。高度成長の牽引力は大量生産、大量消費であり、その大量消費を実現させた旺盛な個人消費はテレビが主役となって促進してきたと言い切れるかと思います。ただこのパワーは必ずしもテレビ広告だけがもたらしたのではなくテレビの番組の情報力が大きく貢献したことはいうまでもありません。

もう一つ忘れてはならないことは電通の四代目吉田社長が民放の誕生に大きく貢献したことに加えその視聴状況を科学的にキャッチすべくビデオリサーチという視聴率調査会社の設立に奔走したことです。この調査データによって広告主は初めて投下した広告予算の効率を計ることができるようになり、マーケテイング上極めて筋道のついた広告投下が可能になり、しかも顕著な効果を実感することにより、テレビ広告費はまさにうなぎのぼりに増加していきました。結果として広告もテレビの編成もこの視聴率という言葉に大幅に左右されるようになりましたがテレビ広告という側面を見る限り極めてラッキーなスタートを切り、その後、広告メディアのなかで圧倒的なシェアをとり続けてきました。

しかしながらその高度成長も昭和48年ごろからパワーダウンし、いわゆる安定成長、低成長、と言われるような先進国型への転換が始まりました。その転換が不十分な体制の時に極端な形で円高が始まり、結果としていわゆるバブル経済に突入しました。一見高度成長の再来のような錯覚のもとにテレビ広告も再度高成長を再開しましたが平成3年ごろ、このバブルが崩壊し、いわゆる平成不況に突入しました。この「失われた10年」といわれる間の平成8年にcciが設立され、又この年に初めて日本の広告費の中にインターネット広告費が認められ発表されました(㈱電通調査より)。テレビ広告のスタート時期に比べなんとアンラッキーなスタートでしょうか。

アメリカにおけるインターネット広告の華々しい発展の状況に比べ日本のそれが必ずしも相似的でなかったのはその経済環境の違いによる影響があったというべきでしょう。しかしこのような環境に恵まれたとは言えない状況にも拘わらず日本におけるインターネット広告も他のメデイアに比べれば極めて高い伸び率で成長を開始しだしました。それはおそらくインターネット広告の特徴たるユーザーの属性キャッチが可能なこと、そのインターネット利用の詳細がキャッチしうること、等により無駄の無いピンポイント的なターゲットキャッチの可能性が追及できること等により充分クライアントのマーケテイング活動に貢献しうることが経験知として徐々に浸透してきた結果であろうと思われます。

現在、経済環境、特に個人消費という側面では、所得拡大が望めない中で、当分高まる可能性に期待するのは無理かもしれませんが、潜在的には消費意欲は旺盛にあると考えるべきであり、その掘り起こしのためのマーケテイング活動、広告活動はそれだけ知恵の勝負が期待されています。広告はクライアントのより選別されたキャンペーンコンセプトの実現に資する科学的に追及されたメディアプランの効率と人間の感性によりクリエイトされたすぐれた広告表現のアンサンブルによりその価値が決まります。テレビ広告の爆発的影響力とインターネット広告のピンポイント型の浸透力を中心に他のメデイアも含めて、その組み合わせの妙により、どれだけ効率的に又実証的に広告効果実現可能性が追求されているか、そのプランニング力が広告業の差別化能力として評価されることはいうまでもありません。cciはその追求のため努力をおこたることはありません。